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執筆者の写真藤田悠未 / Yumi Fujita

『藤田悠未の原点』



皆様、ご無沙汰しております。

藤田 悠未です。


2回目ということで、今回は、『藤田悠未の原点』について、お話ししようと思います。




寝返りを打つ前から、A型のベビーカー(寝転んだまま乗るベビーカー)で、ブリッジをしていた私。(←意味不明)

当たり前ですが、手は使えないので、足と頭のブリッジなのですが…0歳の思考回路は謎です。



寝返りもハイハイもできない頃の移動手段は、ほふく前進の背中下バージョン。(おそらくブリッジの進化系)

脚力が強かったのか、仰向け状態で、頭の方に進んでいく技を身に付け(笑)、母が横に寝かせていても、気付けば移動していたそうで…


なかなかのベイビー。

しかも髪の毛はくるくる。笑



そんな幼少期の様子から伺えるように、とにかくじっとしていられなくて、好奇心の塊だった私。






2歳の頃、母が「おべべ(着物)を着ているときは、じっとしなあかんのよ〜」と、躾のひとつで着物を着させてくれたそうです。


私の母は、日本舞踊の師範なのですが、当時母のお稽古中に、「ママのお稽古中は舞台の上に上がってもいいけど、他のお弟子さんのときはおっちん(座る)してるのよ」と、躾けてくれたそうです。


それらがきっかけで着物を着て、母のお稽古中に舞台を走り回ってたのが、いつしか母の真似をしだすようになり、先生がお稽古を始めてくださったそうです。



※2歳半の藤田。

すっごく機嫌悪そうな顔してますが、この後、すごく楽しかったと言ってたそうです。どういうこと(笑)

緊張してたのかな〜






それから28年が経ちました。

 





藤間流の名取となり、私にとって日本舞踊は、欠かせないもの、かけがえのないものになりました。





世の中には、お金で買えないものがあると思います。

私はそれを、この日本舞踊を通じて、教わってきたと思います。



続けさせてくれた両親には本当に感謝しています。

日本舞踊に出会ってなければ、今の私はないと思います。







今の私の目標は、時代劇でメインどころをはることです。

全ては、芝居のため。

芝居を見てくださる視聴者の方のため。



自分のために頑張ってたときもありましたが、そんな力はしれてたし、敵いませんでした。





そして、両親と同じくらい大切な師匠に、恩返しをするため。


日本舞踊の師匠であり、人生の師匠である先生を、3年前に亡くしました。

絶望の日々というのは、こういうことかと






でも、私の心の中では生き続けています。

きっとどこかで見守ってくださっていると信じています。



、、、その経験や想いも、役者としては糧になっている…複雑ですね(笑)







今日は私の原点である「日本舞踊」についてお話しさせていただきました(´∀`*)



2023年12月17日(日)に、京都の先斗町歌舞練場で「藤麗会」本会がございます。

そちらに出演致しますので、ご興味ある方は是非!!

念願だった演目を、おどらせていただきます。


….ちゃっかり宣伝(笑)






ということで、今回はこの辺で(^^)

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。








藤田 悠未









閲覧数:203回1件のコメント

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1件のコメント


Furuchang
Furuchang
2023年5月25日

藤田さんの原点から今の想いや日本舞踊や芝居に対する気持ちも知る事ができ、改めて紅葉先生を演じた気持ちを考察してみたりしています。本当に信念や気持ちの強い藤田さん。素敵ですね。応援しています。

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